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Results matching “Sonnar85mm F2” from 新地のドゥルーズ

CONTAREX Sonnar 1:2 f=85mm

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Contarex Sonnar85mmf2.0(工房M42改)とα7R。













当サイト紹介のレンズを使ってみたい、譲って欲しいと思われる方は、



までメールください。工房主と相談してお譲りします。
(メールアドレスは画像です、コピペできません)

Sonnar 85mm F2

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初代α7sとコンタレックス=Sonnar85mm(M42改)。











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初代α7RとコンタレックスSonnar85㎜/F2(工房M42改)。F4.5あたりでも全体がシャープです。









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初代α7sとコンタレックス=Sonnar85mm(M42改)。
(撮影日:2020-04-05)













蛇足。α7RとHektor135mm。開放。

SONYのα7Rとコンタレックス Sonnar 85mm。







コンタレックス=CONTAREX Sonnar85mm。カメラは初代α7R。









α7Rとコンタレックス Sonnar 85mm F2.0。(M42改造)









見田宗介「現代社会はどこへ向かうか」(2015年版)を読むと
ヒト科の生物がもうすでに「曲がり角」を揺れながらも経験している、それも衰退もしくは破局のベクトル上を・・と、思えてならない。
ちょっとウツになってしまう。
僕は爺だからもう見て見ぬふりを決め込もう。
(7s,Sonnar 85mmf2)

Contarex Sonnar 85mm2.0

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α7sと今日のContarex Sonnar85mmf2.0。
空蝉以外は補正なし。













Contarex Sonnar 85mmf2.0

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Contarex Sonnar85mmf2.0。

NIKKOR-H 48mmf2 Windows10

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NIKKOR-H 1:2 f=48mm(Mマウント改造)の記念撮影。
こんな絵をすぐにも作りたがる変な男だ。w
α7sとSonnar85mm f=2(Contarex)にて。

閑話休題、拡大画像でわかりますが、Windows10のタスクバーに
新しいブラウザであるedgeのほかになじみのIEもありますね。
これは「すべてのアプリ」→「Windows アクセサリ」に折りたたまれて(隠されて?)います。
それを「タスクバーにピン留め」しています。
昨日、知人のPCにWindows10の手動インストを実施しました。その際この措置を実施。
帰宅後自分のPCにもやりました。

もうひとつ。
古いマシンはアップグレードのフラッグがたっても、結果は「すいません」と断られます。当たり前だといえばそれまでだが、思わず笑いました。
そんなら「案内」するなと言いたいかもしれませんが、
KB2952664やKB3035583、それにIE11のなせる自動的な罠ですから、白いフラッグがたつことは仕方がないのです。

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Contarex Sonnar85mmf2

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(α7s/Contarex Sonnar 85mm f2)

Windows10の新ブラウザー Edge(エッヂ) のアイコンが見えます。
目測でLINHOF TECHNIKAR 95mm 3,5の銘板文字列とタスクトレイの位置を同じ距離にしたつもりだ。が、ピントがズレていますね。(拡大画像)
それにつけても、Contarex Sonnar85mmは神がかりのレンズなのです。はい。
 川島小鳥・谷川俊太郎=「おやすみ神たち」のハナシ。
下は7R/Sonnar85mmF2で撮ったホン。
迷ったが、なんとなく気に入って買ってしまう。
(いずれも拡大画像あり)



そして次はパンフレットをエプソンの7000Uでスキャンしたもの。拡大してご覧あれ。
クールですねえ。動きがあるのに静謐。



この絵、会場ではこんなふうに展示されていた。



 モデルの少年は自転車で左にフレームアウト寸前。
一方、中央の鶏は右方向へ逃げて行く・・まさに瞬間の絵だ。
出来事に臨場した写真家だけに与えられる特権的な絵です。

撮った刹那、作家はグッときたよね、これ。
主役は少年でも鶏でもなく、降臨した「出来事」だろう。

んで、僕はこのトリッキー(鳥ッキーw)な鶏に寄ってGR28mmしたもんだ。

 Hektor7,3cmとSonnar85mmf2の比較。
 まずは現物をごらんあれ。拡大画像はα7Rのサイズの1/4、横1840です。ちょっと大きいです。はじめがヘクトール。次がゾナーです。





 ピントは中央のSanDiskのSDカードに合わせてチルトアップしています。マニュアル撮影です。SS=1/125。絞り開放。露出は背後のバルテュスの絵で取得しHektorがISO=400、Sonnarが500。Hektorの最短撮影距離で撮影し、Sonnarの位置はそれに合わせました。
 それぞれをモデルにして撮ってます。Sonnar85mmf2も知る人ぞ知るいいレンズです。知人の手になるmodified lensです。1969年のSony TV ZOOM LENSの鏡胴に収まっています。ちなみに右端クロームの鏡胴がContarexの「抜け殻」です。
ここに僕の前記事があります。(今日の記事を含む)

 さて諸氏よ、これらは早朝、室内の至近距離で個物を撮影したものです。y = f(x)の記述で関数fから導かれるxの写像がyです。その「関数」が少ないので参考になりません。これで早計な「判定」をなさらぬように。単なるテーブルフォトです。ヒマですからね(笑)。これが好きなんだからしかたない。

「少数派の意識の普遍的な形態が存在する」と、ドゥルーズ=ガタリは言っている。(「千のプラトー」宇野他訳 P126) 僕はこれを、《少数派の者たちの間に響き合う通奏低音》のようなものだ、と解している。その線が出るかどうかをさぐりながら、他者と接触している。自己は精神も身体も他者との間でそのつどその場で立ちあがる。存立する。関係が沸き立ち、修正の線もその場所で出るかもしれないし、後になって出るかもしれない。全局面でアレンジメント(アジャンスマン)、リゾーム、器官なき身体が作動する。「存在の一義性」っていうのも、これらを全面的に承認することだと理解する。あまりに大雑把でごめんなさい。そもそもの最初からそう考えて、今も変わらない。認識はどっちにころんでも「誤認」なんだから、まあいいか、と。

 じゃ、その「形態」を具体的にというと、困る。言葉にできないのだ。確かフーコーが「闘争」について問われて、私もそれを今考えているのです、と率直に応える場面がありました。(どこと言われても・・)だから、《今それを考えているのです》というのは苦境(?)をそのまま受け入れる態度かもしれない。そして「少数派」の意識をまとったまま一生が終わる、ということになりそうな気がする。



(α7R/ERMARIT 1:2.8/90 SILKYPIX retro_taste)

 これも拡大してどうぞ。被写体個物はSonnar85mm/f2 です。Nr.2624***が見えます。(自慢してる、あはは)撮影レンズはERMARIT90mm/f2.8です。これまでは、ERMARITをEOSのフルサイズで使っても、ピント合わせにに難儀していた。いつのまにかERMARITは「蔵」に・・。α7Rのおかげで今回復権、ご寵愛を受けること間違いない。まさにアジャンスマン。ERMARITの線が出て、屹立する。

 さて、くだんのSonnarですが、鏡胴は改造してるのであの樽型ではありません。ピントリングにはソニーのビデオパーツを流用してます(笑)。ま、要は写りですからね。抜け殻となったその樽とはこれです。ERMARIT90MM f2です。

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